一心行の大桜の由来

一心行の大桜の周辺はなだらかな斜面にある畑地でした。以前は、一心行の大桜はほとんど注目されることもありませんでした。一心行の大桜は、中村(峯)伯耆守惟冬が葬られる墓地内の菩提樹になっています。伯耆守惟冬は天正年間、当時の峯村(現、南阿蘇村中松)に築城された鶴翼城(峯城)城主であるとき阿蘇家の命を受けて矢崎城(現、熊本県宇土郡三角町)城代を兼務することになりました。しかし、薩摩の島津氏との戦いで天正8年(1580)に矢崎城で戦火で亡くなりました。そのため室(妻)と4歳になった嫡男、惟尚(後に峯伯耆守惟尚)は、少数の家臣とひそかに故郷峯村に戻り、その地名である峯(みね)伯耆守を名のりました。一心行の大桜はその時期に植えられたと伝えられ、戦いに散った城主、惟冬と家臣たちの御霊を弔うため一心に行をおさめたというところから「一心行」の名がついたと伝えられています。

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